家族で明るく生きていこう

夫婦で鬱病、娘はASDと統合失調症で、息子以外は病んでますが、何とか明るくやっています。

湖底から見上げた水面②

娘の息子に対する言葉遣いや態度が日に日に酷くなり、「死ね。」や「殺すぞ。」といった言葉は普通に日常会話に入ってくるようになり、酷い時には、「お前さえ生まれてこなかったら、パパやママは私の事だけを見てくれたのに。」など息子の存在を否定する言葉を多く発するようになり、私はいっぱいいっぱいの状態で、ちゃんとフォロー出来ず益々家の中の雰囲気は暗く、殺伐としたものになっていき、遂にあの事件が起きてしまった‥

 

ある日買い物から帰ってみると、余りにも息子の様子がおかしかったので、その夜風呂で何が有ったのか聞いてみたら衝撃の言葉が息子の口をついてでてきた。

「ねえねが包丁を持ってきて、顔に包丁を突き付けられて、『今から殺してやるからな。』と言われた。」と震えながら話してくれた。

私は急いで風呂から出て、嫁にこの事を話し、2人で娘を問い詰めたら、娘は何事もなかったかのように事実を認めた上に、「もう少し生かしておいてやろうと、気が変わったから、殺すのを止めた。」と顔色一つ変えずにぬかしやがった。

嫁は泣き崩れ、私は初めて娘を殴ってしまった。

これが、8歳の女の子と、5歳の男の子との間に起きた出来事とはとても考えられず、頭の中がぐちゃぐちゃになり、言葉が出ず殴る事しかできなかった。

その日の夜、嫁と色々話し合い、先ずは娘を小児専門の心療内科に連れていくことにした。

 

一ヶ月後予約が取れたので、本人は嫌がったが無理やり連れて行き、診察とテストをした結果、ASDと診断された。

何らかの病気だと診断結果が出るだろうと覚悟はしていたが、やはりショックを受けた。学校等での外面は非常にいい子だったので、しばらく誰にも言わず秘かに治療を続けようと夫婦で話し合ったのだが、本人は全くショックを受けるどころか、どんな悪事を働いたり、悪態をついても、まるで免罪符を得たかのように、「病気だから、仕方がないやろ。」と言うようになり、全く病気に向き合おうともせず、以前より態度は酷くなっていった‥

 

母の状態も悪くなる一方で、俺の精神も限界を迎えようとしていた‥

 

湖底から見上げた水面①

嫁が無事に退院し、再び家族4人が全員揃っての生活に戻ったのだが、嫁は乳房再建手術が本人の求めていた物とはかけ離れた結果になり、再手術が決定していたこともあって、より鬱が酷くなっていた。

 

子供たちにとってというか、家庭において嫁の存在は太陽のようなものだと思う。嫁が笑顔だと、家族皆が自然に笑顔になる。こればっかりは父親が何をしても敵わない。その太陽が沈んだままなので、それに合わせるかのように、子供たちの様子も少しづつおかしくなっていった‥

 

特に息子はまだ3歳だったので、甘えたい盛りの頃で、まだおっぱいを触ったり、抱っこされて胸に頭を預けて寝たりしようとするので、嫁は出来るだけ近づかないようにしていた。仕方がない事とはいえ息子がどんな辛い思いだったか、本当に見てられなかった。

 

その後、2回乳房の再建手術を受けたのだが、嫁の納得いくような結果にはならず、医者にもいい加減妥協するように言われ、あきらめる事となり、嫁の鬱病はますます酷くなっていった。結果、より一層甘えたくてしょうがない息子を避けるようになり、「ママが帰ってきたら、久しぶりにママと一緒にお風呂に入って、たくさんおはなしするんだ。」と言っていた息子の希望は叶うどころか、結果的に退院してから約3年は家族の誰にも胸を見せず、子供達が寝静まってから、最後に風呂に入っていた。

 

そういった事情があった上に、息子はまだ分別もつかない年頃だったので、どうしても小学生の娘よりも息子にかかりきりになってしまい、娘に非常に寂しい思いをさせていたこともあって、娘の言葉使いなど、色々な様子がこの頃から少しづつおかしくなっていっていた事に全く気付いてなかった。

 

そして母が3度目の癌を患い、胃ろう状態で手術に耐えられる体力がないので手の施しようがないと医者に言われ、老人ホームからホスピスに移ることになった。

 

その頃から、私の睡眠障害も更に酷くなり、何の薬を飲んでも効かず、心身共にかなり厳しい状態だったと思うけど、「俺が終わったら、我が家が終わる。」と思い踏ん張ってきたのだが、俺の魂を砕いた、あの思い出したくもない事件が起きてしまった‥

 

 

 

 

 

不幸の足音③

嫁の癌の摘出手術が無事成功に終わり、周りの方々のお蔭で、嫁の鬱も少し落ち着きはじめ調子のよい日が増えてきて、私と子供達も少しホッとしました。

 

嫁の件でバタバタしていたので、日中の事はヘルパーさんに任せていた母の事に時間をさける心の余裕が出来たのですが、母の様子を見て愕然としました。ヘルパーさんがかなりいい加減な人で、本人は否定していましたが、間違いなくリハビリをちゃんとしておらず、10日ほど前までは車椅子に乗れていたのに、ひざが固まってしまっていて、完全に寝たきりになってしまいました。更に、元々軽い認知症を患っていて、寝たきりになったのが原因なのかわかりませんが、わずかな期間で完全な認知症になってしまい、私の事を、「お父さん」と呼んだ時は本当にショックを受け、心底後悔しました。

 

寝たきりで認知症が酷くなった上に、食事をとらなくなくなったので、入院し検査してもらったら盲腸にがんが転移しているのが見つかり、再度、癌の手術をする事になりました。

 

手術は無事に成功したんですが、ますます食が細くなり、ほとんど自力で食べられなくなりました。このままでは衰弱していく一方なので医者に相談したところ、胃ろうをするかどうかという話になったのですが、問題が二つあり、一つ目は胃ろうになると自宅で介護できなくなるので、施設に預けないといけなくなる事です。特別養護老人ホームは順番待ちが酷く、私立の老人ホームに入れなくてはならなくなるので、金銭的な負担が大きくなります。二つ目は胃ろうをしたからといっても長生きできる保証はなく、10年以上生きるかもしれないが、一か月持たず亡くなってしまう事も有ると言われました。

 

家族で話し合うまでもなく、母を放置している衰弱死させる事など出来るわけなどないので、母が長生きしてくれることを願い、胃ろうの手術を受け、私立の老人ホームに預ける事になりました。

 

この結果、私から介護の負担は無くなりましたが、夫婦で休職中で無収入の我が家に月に約20万円の金銭負担が増える事になりました‥

 

 

不幸の足音②

2017年6月22日、例年なら毎年10月に、年に一回夫婦二人きりで一日一組貸し切りでランチを食べさせてくれる特別な店に行っていたんですが、その日は7月の手術を頑張って乗り切ってもらうためにも、運良く入院前に予約できたので、その店に車で向かっていました。

 

道中、病気の不安をまるで忘れたかのように、ランチの話題などで盛り上がり、嫁は笑顔でいたんですが、もう少しで店に着くという時に、テレビから流れてきたニュース速報で車内の雰囲気は一気に凍り付いてしまった‥

 

それは、市川海老蔵(現・團十郎)夫人である、麻央さんの訃報だった‥

 

同じ病気と闘っていて、自分と子供たちの年齢も近く、家族構成が一緒だった麻央さんは、嫁にとって同じ病気と闘う目標であり、同志のような存在だったに違いない。訃報を知り普通の状態でいられるはずもなく、ずっと、「可哀想に‥、可哀想に‥」とだけつぶやきながら、ただひたすら泣き続けていた。

 

その日を境に嫁の情緒は非常に不安定になり、「子供の成長した姿を見るまで死ぬわけにはいかない」、と気丈にふるまう日もあれば、「治らないのかもしれないんだったら、手術なんて受けないで、家に帰って死ぬまで子供たちとずっといっしょにいたい。」と泣き崩れたり、日によって、時には時間によって情緒が目まぐるしく変わっていた。

 

そのような母親の姿を見て、子供たちも小さいながらにも敏感に反応し、家に帰ってから、なだめて普通の生活をさせるのが本当に大変だった。

 

その後、主治医の指示で精神科を受診したら、鬱病という診断結果だった。手術を延期して、もう少し落ち着いて、気力が少しでも充実してから受けるという選択肢もあったが、嫁のご両親や友人等の励ましもあり、予定通り決行されることとなった。

 

話がちょっとそれるが、よく保険会社のいい加減なCMの知識で、「二人に一人は癌になるんだから。」と励ます人がいるが、あれは相手を見て判断したほうがいい。あのデータは確か80歳以上の人たちの事で、30歳代で癌を患う人は僅か数%しかいないという事実を知っておいてもらいたい。

 

どうにか嫁は無事に手術を受けられそうだとなり、私もちょっとホッとしていたのだが、私が見落としていたところで、別の不幸が急速に進行していた‥

 

不幸の足音①

もともと私は夜型の生活をしていて、睡眠時間は短いほうだったんだが、2008年に自殺を考えるほど仕事で失敗し、周りの方々のおかげで何とか仕事の問題も解決し、短絡的な行動も取らずに済んだのだが、その事がトラウマとなり、更に寝つきが悪くなり、寝られない日も増えてきたので心療内科で診てもらったら、睡眠障害と診断され、睡眠導入剤を服用する日々が今もなお続いている。

 

その後は、2011年に長女、2014年に長男も生まれ、2015年にマイホームも建ち、睡眠障害以外は公私ともに順調だったのだが、2015年の暮れに母が腰を骨折し、入院中に直腸癌が見つかり、2016年には寝たきり状態になってしまった。

 

そして、2017年の4月、嫁の右乳房にしこりが見つかったので、念のためにに検査を受けさせた。検査結果は5月の連休明けに知らされることになっていたのだが、4月下旬に病院から至急来てくれとの電話があり、悪い予感しかしなかったが、まさにその通りで、「乳癌なので、再度大学病院で精密検査を受けてください。」という最悪の知らせだった。精密検査の結果は、ステージ2の乳癌で、7月に右乳房の除去手術をする事となった。

 

7月から私は、母の介護、嫁の看護、未就学児の子育て、というトリプル・ケアをやらなければならなくなり、とても仕事をしながらでは出来ないので、会社に介護休暇の申請をし、7月から介護休暇を取得する事となった。

 

そして、嫁の手術直前の2017年6月22日に、嫁の精神を壊してしまった出来事が起きた

 

 

 

最初に

はじめまして。

我が家は、私は鬱病と重度の睡眠障害、嫁も鬱病、2023年7月現在、中学校1年生の娘はASD統合失調症、小学校4年生の息子は健康優良児、という4人の内3人がメンタルヘルスに問題を抱えている家族です。

 

文面から家族像を想像すると、地獄のような日常を過ごし、お先真っ暗のように感じられるかもしれません。確かにそういった時期もありましたが、今は何とか家族で明るく、仲良く、楽しく日々を過ごせる様に頑張っています。

 

このブログを始めたきっかけは、ブログを通じて同じ様な問題を抱えている方々と知り合い、交流を図る事が出来るようになり、出来れば様々なアドバイスを頂けるようになれればいいなと思っております。

 

それと、文章化することにより、自分達の行動の反省点などに気づいたり、書くことにより、内面をさらすので恥ずかしいのですが、時にはストレス発散になるのではないかと思っています。

 

まずは、我が家が何故現在の状況になったのか、次回以降載せていきたいと思っておりますので、改めてよろしくお願いいたします。

 

 

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